HOWS講座『日本ナショナリズムの歴史』に参加して
福沢諭吉とは何者か


 八月二十五日のHOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講座のテーマは「福沢諭吉にみるナショナリズム形成の軌跡」。
 『日本ナショナリズムの歴史』(梅田正巳著 全四巻 高文研)の第二巻後半(第Ⅵ章)をテキストに、ナショナリズムという視点から福沢諭吉という存在を考えた。HOWS聴講生の伊藤龍哉さんがまず一時間ほど報告を行ない、続いて討論となった。いつになく活発な議論になったのは伊藤さんの報告が論点をよく整理したものであったからだ。
 では福沢諭吉とは何者であったか。多彩な意見が出たので全体としてそう確認されたということではないけれど、福沢諭吉を絶対主義のイデオローグと規定すれば腑に落ちるとわたしは思った。絶対主義を支えるイデオロギーには二通りある。ひとつは合理主義だ。
 封建割拠を打破し強力な中央集権国家を創り出すには合理精神が必要だからだ。明治の日本でこの面を代表した者こそ福沢であった。
 「門閥制度は親の仇……」。封建制の不合理を叩く上ではかれは抜群の破壊力を発揮した。そこで、なにか民主主義的思想家みたいに錯覚してしまうのである。
 なお絶対主義といっても、日本近代のそれはチューダーやブルボンと同じものではない。ずっと遅れて、イギリスやフランスでは市民革命の時代を過ぎ帝国主義の時代に入ったころ形成されただけに、日本版絶対主義は遠からず近代的帝国主義へ換骨奪胎する。絶対主義から帝国主義への理念型としては市民革命によって絶対主義を破棄した国民国家がやがて帝国主義に成長していくが、わが国の場合はイギリス・フランスとは異なり、いっぽうプロシャとは似て、市民革命に成功せず(明治一〇年代における自由民権運動の敗北)、頭に絶対君主を戴いたまま胎内に独占資本主義=近代帝国主義が成長していくのである。福沢は階級的には、政府の庇護を受けながら政商から大産業資本へと転生していった三菱などの国家的ブルジョワジーとつながっていた。
 絶対主義を支えるもうひとつは「神がかり」だ。自由民権運動が敗北したことに淵源しよう。前述した合理精神とは相反するにもかかわらず、神聖不可侵の「現人神」を頭に戴くのだから、これはどうしたってそうなる。福沢的合理主義よりも神がかり精神のほうが次第にせり出してくる。天皇制ファシズムの登場である。その下で、丸山真男によれば諭吉の著作はほとんど禁書扱いにされた。若き日の丸山が諭吉から誤って「自由の気風」を嗅いだのはこうした事情による。しかし、福沢の思想もまた絶対主義・帝国主義のイデオロギーではなかったか。その中国や朝鮮への蔑視はすさまじい。アジアへの侵略を鼓吹した男をあれほど持ち上げてはアジアとの和解も連帯もできない。丸山真男の躓きの石はここにあった。かれの強い影響下にある今日の日本リベラルも。
 この連続講座のテキスト『日本ナショナリズムの歴史』が今年のJCJ賞を受賞したのは朗報である。日本ジャーナリスト会議が選定し、優れたジャーナリズム活動や作品に贈られる。
 九月二十二日のHOWS講座は著者の梅田正巳さんを講師に招く。多くの参加を訴えたい。
【神田五郎】

(『思想運動』1028号 2018年9月1日号)