HOWS講座「朝鮮民主主義人民共和国が目指す社会とその現状」開催
日本と朝鮮 ―― 二つの社会のちがいを考えるなかで見えてきたもの


 十一月十七日、HOWS講座「朝鮮民主主義人民共和国が目指す社会とその現状――8月3日から10日までの訪朝の記録と日本人民の課題」が開催された。当日は四三名(訪朝団からは報告者を含め七名)が参加した。報告会は前半を三つの報告で構成し、後半は参加者からの質疑に答え、活発な議論が行なわれた。

なぜ朝鮮学校に関わるのか

 第一報告は日朝学術教育交流協会・千葉ハッキョの会合同訪問団団長・堀川久司さん。堀川さんは冒頭、原風景である九州の炭鉱での幼い日の記憶、そこでの親友である在日朝鮮人K君の思い出の話、そして約五〇年後の念願かなった再会などをまじえながら、これまで千葉朝鮮初中級学校を支える運動を続け、朝鮮を訪れるに至るまでの思いを語った。
 二〇一〇年に始まったいわゆる高校授業料「無償化」制度は、わずか四年で所得制限を設け、年収九一〇万円以上の世帯の生徒からは授業料を徴収することになった。「すべての高校生へ」の授業料の「無償化」は、教育における機会均等を経済的な負担を減らすことによって具体的に実現するための一つの施策であったが、いまは教室のなかに授業料を払う生徒と払わない生徒を混在させることになっている。結果として、社会全体の利益である「無償化」が生徒の個人的な問題とされ、多くの教師の目にも触れず、また県によっては教育委員会で一括管理され、生徒それぞれの「無償化」が行なわれたり行なわれなかったりする実態が報告された。
 本紙一〇二八号に今回の訪朝についての堀川さんの報告記事が掲載されているが、そこでも紹介された朝鮮の憲法は、第四七条で「国家は、すべての学生・生徒・児童を無料で学ばせ、大学と専門学校の学生には奨学金を支給する」と定めている。「無償化」の例を挙げるまでもなく、日本の教育は経済的な理由でひとりの生徒の学習の権利が損なわれたとしても、それは自己責任となる。わたしには日本と朝鮮とのちがいは、「すべて」という目標を努力目標にするか、最低限実現すべき課題に据えるか、のちがいであるように思える。
 日本社会で「すべての子どもが平等に教育を受ける権利がある」という理念が空文である実態に慣らされるなかで、朝鮮学校の「無償化」除外が日本の高校教員たちに意識されることは少ない。新聞報道などマスメディアの朝鮮バッシングによる偏見も根強いという。
 しかし堀川さんは、朝鮮学校での交換授業など、自分が取り組む活動を職場で積極的に話すという。このような堀川さんの姿勢に学ぶところは大きい。わたしたちは「日本政府が言うことは正しい」という形で日々生起する問題を解決済みと退けてしまう考え方自体に挑戦し、疑問をぶつけ、また自ら活動していくなかで他者と議論していくべきだろう。そういった一人ひとりの活動が、いま大切ではないだろうか。

映像でみる朝鮮訪問の八日間

 第二報告は映像を使い、同じく訪朝団の田沼久男さんが八日間の朝鮮訪問を三五分の映像にまとめて紹介した。映像には、今年八月の穏やかな朝鮮の様子が映し出されており、日本のニュース報道とはちがった朝鮮の人びとの日常の生活風景に新鮮な驚きがあった。移動で利用したバスの窓から眺める平壌市内は、行きかう女性たちの服装もカラフルで、タクシーや車の交通量も多い。電動自転車もたくさん利用されているそうだ。
 ホテルの周辺を散策した際の映像には、公園で女性たちがにぎやかに話しながらバトミントンをしたり、アスレチックで腹筋を鍛えたりと楽しそうであった。朝鮮では男性の定年は六〇歳、女性は五五歳ということだ。

朝鮮学校を支える人の力

 第三報告は千葉朝鮮初中級学校校長の金有燮さんが、朝鮮学校の歴史といま置かれている状況について話をされた。
 金校長は朝鮮学校の特徴として第一に民族教育を挙げる。
 朝鮮人であるかれらが「民族教育」を日本人に説明するとき、なかなか理解されないという。金校長はいくつかのエピソードを交え、この問題を提起した。実際に朝鮮学校を訪れたある人は、「朝鮮学校は早くなくなった方が、あなたたたち(朝鮮人)のためにもいいのだよね。普通に日本の学校に通って、なんの差別もなく、民族というものを関係なく、日本の学校で学べる方が、あなたたちも幸せなんだよね」と話したという。また朝鮮学校に通うある生徒は、日本人の友人に「わたしはあなたを差別しない。だってわたしは、あなたを朝鮮人とは思わない」と言われたという。これらのエピソードに見える日本人側の没歴史性、没主体性は言うまでもない。在日としての朝鮮人の歴史を知り、なぜかれらが朝鮮学校をつくったのかを知り、なぜ日本人はいまだに朝鮮人を差別するのかを自らに問わなければ、日本人と朝鮮人の間にある溝は、物理的な距離とは別に、その深度を増すだろうことを痛感した。
 二つ目の特徴である集団主義教育は「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」を実践する教育だ。この教育が社会主義の思想からくるものであると同時に、戦後日本の厳しい差別のなかで朝鮮人としてのアイデンティティを守って生きていくために欠かすことのできないものだと金校長は話す。それがいまも、厳しい学校運営を強いられるなか、朝鮮学校がなんとか維持できる力になっているという。
 最後の特徴は「統一教育」「朝日親善教育」だ。将来、朝鮮と韓国そして日本をつなぐ架け橋を担う子どもたちを育てたいという思い、そして朝鮮学校の本質である「朝日親善」の教育方針は、南北融和の気運が高まるなかで、平和なアジアを求める日本のわたしたちもまた、「日朝親善」を共通のテーマとして追求する必要があるだろう。
 朝鮮学校の置かれた状況は決して楽観できるものではなく、その運営の労苦も簡単には語れない。半世紀以上の朝鮮学校の歴史において、日本の国家予算が朝鮮学校に使われたことは一度もなく、また千葉市では年間五〇万円の地域交流事業への補助金さえも、一七年四月から交付を停止している。しかし朝鮮は日本にいる在日同胞のために毎年、数億円にわたる教育援助金を送った。これが朝鮮学校の関係者たちの多くが南にルーツを持っていても、北側の朝鮮を祖国と呼ぶ所以だ。
 いまは三世、四世となった教員たちが、根本にある理念・理想を引き継ぎながら、最良の教育を求めて日々奮闘している。金校長の話しを聞いて、参加者の多くは朝鮮学校の教員たちが置かれた状況の厳しさに言葉を失った。物質的な豊かさを凌ぐ思想の力が人を動かしている。と同時に、わたしたちがかれらとともに何ができるかを考える。
 紙幅の関係で、参加された訪朝団の方々の発言(『朝鮮新報』にそれぞれの感想が掲載されている)や質疑応答については割愛せざるを得ない。
 最後にぜひ、朝鮮学校を訪れ、またそれを支える輪に加わってほしいと切に思う。手を動かしながら、口を動かしながら、できることは多い。【廣野茅乃】

(『思想運動』1034号 2018年12月1日号)