キューバ革命60年キューバの女性政策に貫かれる社会主義革命の精神
「キューバ女性同盟」の活動は「革命のなかの革命」である

パトリシア‐フレチージャ(駐日キューバ共和国大使館書記官)

 二○一九年一月一日、キューバ共和国は革命六〇周年を迎える。二○一五年、キューバと米国は「大使館の開催、関係正常化」に動き出したが、未だに米国の経済封鎖は続いている。しかし、キューバの人びとは困難に直面しながらも新自由主義を排除し、教育・医療など社会主義の基盤を固め、人民の権利の実現を進めている。そして、その教育・医療分野を支えているのが、多くの女性たちだ。キューバの国会で女性議員が占める割合は、五三・二%であり、キューバの女性たちは社会主義体制維持のため数々の課題に取り組んでいる。
 「革命記念日」を迎えるにあたってHOWS講座では、「この人にきくシリーズ①」で駐日キューバ共和国大使館書記官パトリシア‐フレチージャさんに「キューバ共和国の女性政策」についてお話をうかがった。報告はスペイン語で行なわれ通訳は富山栄子さん(国際交流・平和フォーラム)にお願いした。司会進行はHOWS事務局の村上理恵子が担当した。(文責は本紙編集部) 【編集部】

女性の権利拡大と社会保障制度

 今回の講演を始める前に、たくさんの質問をいただきました。短い時間でお話をしなければなりません。持って来た資料はスペイン語のままですが、関連した質問に充分答えるために準備をしました。

――フレチージャさんの経歴と仕事内容についてお話しください。

 わたしは二〇一四年に国際関係大学を卒業し、外務省に入りました。日本の大使館に来たのは二〇一七年で、着任一年半ほどです。主に政務部、報道関係、新聞の部門で仕事をしています。

――キューバでは革命後、どのように女性の権利や生活が向上しましたか。

 革命後のキューバの女性について話をするためには、革命前の女性たちがどんな状態だったか話をしなければなりません。
 革命前のキューバで女性は最大の犠牲者でした。まず多くの女性たちは、字が読めませんでした。そして、社会的・経済的活動が制限されていました。子どもの就職活動もできず、政治活動もまったくできず、そういう意味で女性は最大の犠牲者でした。
 また、革命前は、女性たちは非常に貧しかったし、男性に比べて賃金はずっと低いものでした。そうした中で革命運動を行ないました。
 革命指導者であるカストロは、「歴史はわたしに無罪を宣告するであろう」と裁判で陳述しました。その中で女性の役割をとても高く評価し、反独裁の運動の中から女性たちの権利が拡大していきました。キューバの女性の歴史のなかで、とりわけ革命の歴史の中で果たした役割は、とても大きいです。もちろんスペインからの独立闘争で果たした役割も大きかったのですが、革命前の反独裁闘争の中で、たくさんの反乱の歴史を持っています。
 反バチスタ独裁闘争で、シエラマエストラの山中でカストロたちが闘っていた時にも、女性だけの部隊ができました。この時ゲリラ兵の中には、山の中で女性のゲリラ兵について疑問視する傾向もありました。カストロはこういう女性たちを力づけて、そしてかれ自身の親衛隊として育てました。そうした中でのビルマ‐エスピン、アイデェ‐サンタマリア、セリヤ‐サンチェスら女性の役割は非常に大きなものでした。彼女たちは男女同権論者だったばかりではなく、革命闘争の中で社会的な役割を果たすという信念を持っていました。

――革命後すぐに行なった改革は、どのようなものですか?

 革命後すぐに行なったことは、識字運動でした。その時女性の五五%は字が読めなかったので、識字運動はとても重要な活動でした。一九六一年には一万の小学校が作られました。そうした中で初めて、自分の子どもを学校に送るというお母さんもいました。女性たちは子どもを送ったことで、初めて社会参加をするという道が開けました。
 一〇万人いた売春婦に対してさまざまな能力の開発活動や職業訓練活動、たとえば美容師になるというような、いろいろな仕事を教えることで、こうした女性たちを社会的に保障していくということが行なわれました。
 革命後初めて、法律上・司法上の対策が取られることになりました。憲法で初めて男女の平等がうたわれ、差別を行なうものに対しては刑罰を加えることもでき、男女の権利が保障される法律ができました。
 革命後、こうして初めて女性は社会的なさまざまな役割の地位につくことができました。また軍の中でも同様に役割を果たすことができるようになりました。
 キューバはラテンアメリカで初めて中絶の権利を認めました。一九六五年です。今でも非常に重要なことです。キューバは、国連の女性差別撤廃条約に署名をした一番目の国です。批准をしたのは世界で二番目です(一番はスウェーデン)。
 しかしこうした活動や運動は、簡単に行なわれたのではありません。女性の権利や社会参加を保障するために「キューバ女性同盟」が結成されました。一九六〇年のことです。

キューバ女性同盟の大きな役割

――「女性同盟」の活動内容をお話しください。

 フィデル‐カストロが党大会の中で「キューバ女性同盟(FMC)」について、「女性は二重に搾取され二重に辱められているという歴史的経験から脱却しなければならない」と、女性同盟の重要性について強調しました。
 現在、この「キューバ女性同盟」の同盟員は約四〇〇万人で、非常に活発な活動を続け、女性の社会参加を勇気づけています。
 わたしは一四歳の時に同盟員になりました。自分の意思で会員になりましたし、さまざまな動員・活動の中で同盟が持っている大義・目標に対し支持し、信念に従って行動をしてきました。
 「女性同盟」は非政府組織ですが、同盟を通じて各省庁・国の機関、さまざまな出先機関と緊密な関係を持っています。その中でとりわけ政治活動に重点が置かれていますし、女性の雇用の面でのチェックをするという役目ももっています。
 また、同盟は学習・就学などの調整を行ない、家族や女性の問題について調べ、調整するという役割ももっています。
 「女性同盟」の活動について二つの例をあげます。
 一つの例は、「女性同盟」には「女性と家族のアドバイスの家」という名前の女性が直面する問題を解決する機関が全国に一七五か所あります。
 たとえばアルコール中毒とか家庭内暴力や離婚とかでさまざまな問題が出てきたときに、どのように対処したらよいかを専門家が相談にあたります。心理学者・精神医学・教育学などの専門家や、ケースワーカーの専門家を置いて女性の相談に乗ります。また、「子宮癌」を防ぐための検査や「乳癌」にならないためのアドバイス等をします。性感染症にかからないための活動もしています。
 もう一つの例が「子どもの教育」です。とりわけ働いていないお母さんのためには、二歳から五歳までの子どもに対して、就学前のさまざまな活動に慣れてもらうための活動もしています。
 「女性同盟」は、女性の平等・社会参加などについての活動をしているので、カストロは「革命の中の革命」と言っていました。
 「女性同盟」はイベントなどを行ないますが、政府は「女性同盟」が行なうさまざまな活動を、長い間援助しています。そして、たくさんの報道人や芸術家が参加しています。とりわけ男女平等について取り組み、多くの人びとが参加します。各州に女性の権利や問題について調査をする機関があり、どこの地域でも学ぶことができます。
 しかしわたしたちの闘争は、まだ途中にあります。まだドグマ的な古い考え方や、性差別的な考え方などがあります。その意識を変えるための教育活動が必要です。中には男性優位主義者の考え方もあります。

――キューバにおける女性の権利や保障制度について教えてください。

 さまざまな苦労がありますがキューバでは男女同一の賃金が保障されています。それから女性の場合、出産して一年間は同じ賃金の保障があります。もちろん教育と医療は全国で無償で受けられます。そして、そのレベルは非常に高いです。
 女性の平均寿命は八〇・四五歳となりました。乳幼児の死亡率は低く、昨年の数字は一〇〇〇人生まれた中三・九人です。キューバは、母親が病気になったとき子どもへの感染率を下げた一番最初の国、という評価を受けました。
 また「子どもを生むか生まないかを決める」権利は、完璧に女性にあります。もちろん、「家族計画」もしていますので、自由な選択肢があります。各州に女性の権利や問題について調査をする機関があり、どこの地域でも学ぶことができます。
 数字を紹介しますが、キューバの男性の中には「女性が、こんなに社会的な地位を占めているのか!」と驚く男性もいます。
 ・高等教育を卒業した女性は、六〇%。
 ・専門家・技術者は、七〇%以上が女性。
 ・革命前、女性が社会で働くのは全労働人口の一七%でしたが、今は四九%。
 ・大学・小・中・高の先生や科学者の八〇%は、女性。
 ・議会の議席は五〇%以上が女性で、世界で二番目に多い国です。
 ・キューバには一五の州がありますが、州知事の一〇人が女性。
 これらの数字が、革命の成果です。教育と健康を国が補償することで実現されたのです。

教育・医療分野を支える女性たち

――母親が働き続けられるための社会的な権利や機関は?

 まず、保育所の役割です。革命後にたくさんの保育所が作られ、これによってたくさんの女性が社会参加できるようになりました。最近、社会の経済機構が少し変わってきて私立の施設が出てきています。これらの施設も政府が支援をしています。子どもを育てている母親は、税金が五〇%削減されます。子どもが生まれた後、とりわけ母親が主に育てるか父親か、あるいはおばあさんかは、母親が一〇〇%決めることができます。
 ラウル‐カストロ第一書記は「育児の問題は完璧に解決しているわけではない、まだまだ課題が残っている。とりわけメンタリティ、あるいは文化的に考えた時に育児は誰が主導者かということが、性別役割が残っている。闘争はこれからも続いていく」と述べています。
 若い夫婦の中にも、夫は家事を「助ける・手伝う」という発想をする人がいます。そうではなくて、お互いに同時に家庭のことに取り組んでいかなくてはならないということです。
 わたしたちが今直面している大きな問題は、少子化の問題です。「再生産」ということに対して支障が出るということが問題です。世界的に、問題になっていますが日本も例外ではないですね。
 一九六〇年代のキューバは、一人の女性が四人の子を生んでいるという統計がありますが、今は一・七人という低さです。一人の女性が一人の女の子をうまないと増えていかないので、そういう問題があります(注:日本の二〇一七年の出生率は一・四三で、さらに低い)。
 少子化と同様に高齢化も進んでいます。現在の高齢化率は二〇・一%です。乳児の死亡率が下がったことと、平均寿命が延びたことで高齢化が進んだのです。キューバも、少子化と同時に高齢化という問題に直面しています。
 経済の発展、社会の繁栄のためには、人口が増えていくのは自然だととらえています。

――ブラジルで右翼政権が発足しキューバの医療チームが撤退を余儀なくされましたが

「世界中に沢山の医者を!」という課題に、キューバは精力的に関わってきました。
 「キューバ人医師がブラジルで医療活動のサービスを行なう」というのは、五年前に当時のブラジル政府との間で取り決められたことでした。ブラジル政府とは「パンアメリカン保険局(西半球アメリカ統括機関)」を通じて、条件や合意を交わしてきました。
 ブラジルには、非常に広大な土地が広がっています。とりわけキューバ人の医師がいたところは、遠隔地で貧しいところ、アマゾンとかジャングルなどで交通の便が非常に悪いところでした。キューバの医師たちは「初めて医者を見た」というような、貧しくて無医村のところで活動をしていました。キューバの医者の医療活動について、地方自治体の機関の九五%の人が「最良」と高い評価をしていました。
 とりわけブラジル先住民の人びとのところでの活動は、高く評価されていました。キューバ人の医師は、一軒一軒家のドアを叩いて、病人がいないか確かめたのです。このような接し方を先住民の人びとは初めて経験しました。他の国の出身の医者ではできなかったことでした。
 しかし、ブラジルにおけるキューバの医療活動については、「政治的判断」という嘘や他の沢山の嘘が流されました。今回、極右の次期大統領(二〇一九年一月に就任)が出した条件とは、まったく折り合わないという事態になり、キューバ人医師を保護するということで、二〇一八年十一月十四日に「これ以上キューバ人医師を滞在させておくことはできない」という決定をしました。十一月から約五〇〇〇人の医師が帰国しています。
 次期大統領になるのは、ジャイル‐ボルソナロという人ですが、二〇〇〇年からキューバ人の医師に対して、非常に軽蔑的・挑発的な発言を続けています。

封鎖支持は米とイスラエルのみ

――アメリカの経済封鎖が続いていますが、どのようなことが起きていますか。

 おそらくみなさんは、アメリカの経済封鎖について十分にご存じのことだと思います。
 オバマ政権の時と比べ、現在のトランプ政権下でのキューバに対する経済封鎖政策は、より強化されより厳しくなり、状況はいっそう悪化しました。米国内にも、キューバとの国交正常化を進めたいという人は沢山いますが、トランプ政権はすべて無視しています。
 今でも、米国内にある「キューバ出身のグループ」の利益を擁護する政策をとっています。グループ自体は非常に小さいのですが、米国の政治に影響力を与えるという意味で「大きな集団」です。
 封鎖というのは単に経済・通商・金融という問題だけではなく、いろいろな政治家のキューバ革命に反対する言動の中にも強く影響をあたえています。
 みなさんもご存知かと思いますが、つい最近、福岡のヒルトンホテルにペレーラ駐日キューバ大使が滞在しようとしたら宿泊を断られたということがありました。
 日本の地で、アメリカの法律が治外法権であるにもかかわらず、日本の主権を侵害しつつアメリカの敵対政策が今もなお進行しているということを実証した出来事だと思います。米国の敵対政策というものが、国境を越えて日本の地でも行なわれているということです。
 十月に行なわれた国連総会の中での、キューバに対する経済封鎖についての賛否は、二七回連続して「キューバ経済封鎖に反対」という結果となりました。今年はアメリカとイスラエルだけが反対でした。この結果を見れば、孤立しているのはアメリカであることがわかります。経済封鎖というものは、わたしたちキューバ人にとっては大量虐殺「ジェノサイド」といえます。キューバ政府の立場は、アメリカとは対等の、そして互いに尊重し合うという条件の下で、どのようなテーマについても対話をしていくということです。このようにして二国間の外交関係を維持し、そして進展させていく準備はできています。
 また、みなさんは「音響兵器が使われて、米国大使館に何か損害が出た」という話をご存知かと思います。この「音響兵器」については、キューバの政府は、繰り返し米国とともにこの問題を調査し、明らかにしていこうとを言い続けています。が、米国は応えようとせず、そして証拠を出すこともなくキューバに対して悪宣伝をし続け、偽の情報を流すということを取り続けています。

――個人経営の店などが認可され格差が出ていると聞きました。経済政策について教えてください。

 最後のテーマになりますが、今キューバが進めている経済社会政策について報告をします。これは二〇〇八年から始まっています。小さい、あるいは中・小の規模の民間企業が融資されるというのが特徴です。多くの友人たちが「このことによって社会の中で格差が出るのではないか」と心配をしています。五〇万人が民間部門で働いていますが、確かに、国営企業部門で働いている人と比べれば所得は高いです。
 キューバの観光業を見た場合、海外から毎年四〇〇万人がキューバを訪れますが、国家の収入も税の徴収ということで増えています。国全体としても、このやり方で収入が増えているのです。もともと小さな民間企業を認めるようになったのは、必要性と代替手段として出てきたのです。
 こうした中で民間企業が生まれてきました。しかし教育と医療分野は別で民間企業はありません。社会全体のいろいろな部門は、国家の統制の下にあります。とりわけ中でも、学校の先生と医療従事者の給料を引き上げる努力を国家は続けています。
 今、新憲法について国民的討議が終わったばかりですが、来年二月二十四日に国民投票があり、この新憲法を認めるかどうかという問いかけが行なわれます。この新憲法の中にも、新たな民間の企業の活動について問いかけが含まれています。
 すべての人の諸権利・すべての人の生活の向上は、政府の目指すところであって、富が少数の者の集中しないように対策を進めています。

質疑応答

司会:本日、駐日キューバ共和国大使館書記官クラウディオ‐モンソンさんが参加されています。モンソンさんは日本語がとても上手ですので、モンソンさんにもお答えしていただきたいと思います。

発言者:アメリカの政界で「キューバ政策に大きな影響力を持っている小さなグループがある」と言いましたが、この連中の正体は何ですか。

モンソン:一九五九年の革命が勝利した後、金持ちだった人たちはみな、マイアミに渡りました。マイアミに渡った後、「多分、革命は六か月ももたないのでは」というような意見がありました。その人たちはいつかキューバに帰って、自分たちがもっていたサトウキビ畑の土地などを取り返すための活動を続けていました。
 アメリカ人の政治家には、キューバの社会主義・キューバ革命に反対する人たちが沢山います。かれらもいっしょに、反キューバ活動に資金を提供し、そういう人たちが集まって、それがビジネスになってしまっているのです。そして、生き方になってしまっています。だからもう六〇年間にわたって、そういうビジネスで儲かっている人たちと、いつかキューバに帰って自分たちの土地や所有していた物を取り戻そうという人たちが、アメリカで影響力をもってしまっているということです。

発言者:キューバの人びとは米国と自由に往来できますが思想的な影響はどうですか。

フレチージャ:わたしたちの革命の中で一番重要な役割を果たしたのはフィデル‐カストロです。かれは、政治的な天才でもありました。かれはもちろん、人格そのものも立派だったのですが、かれの採ったさまざまな政策も非常に優れたものでした。
 かれは、ホセ‐マルティの思想を受け継いだ人間です。またとりわけ搾取され辱められた人間の側につくという立場をとっています。そうした中で、教育の重要性、それはわたし自身も含めてですが、わたしの両親、祖父・祖母もたくさんの人が、政治的・思想的な経験というものをフィデル‐カストロによって得ることができました。ですからフィデル‐カストロの思想は、かれ自身が今は存在しなくても、続いていると考えればいいと思います。
 革命が勝利したその直後から、さまざまな大衆的な政治組織がつくられました。このことによって大衆が動員され、一人ひとりが革命の任務の中に編成されていくという社会的な流れになりました。
 そうした意味で各個人が自分の政治的あるいは主体的な任務というものを自覚することができるようになりました。
 もちろん、学校ではさまざまな自発的なことを学ぶわけですが、学校教育と同時に大衆組織も大きな役割を果たしています。わたしの場合は、七歳から一五歳まで「ピオネール」という組織に入りました。ホセ‐マルティ少年団とといいます。高校生以上になると学校を通して別の組織に入ることになります。
 こうした組織を通して、一人ひとりが革命のために貢献する、あるいは革命を強化するために働くことを学び、この中から国内外の敵と対峙する、そういう意識をもつことができるようになります。

モンソン:キューバはアメリカに近いし、テレビ番組とか映画とかインターネットを通して、そういう影響は無制限に入ってくるわけです。ですから、確かに思想の面では、われわれはいろいろ工夫していかなければなりません。
 「アメリカン・ドリーム」というのにひっかかる人もキューバの中にはいますが、教育はそれを説明するためにもあるわけです。大体の人は判るのです。アメリカン・ドリームを実現するためには、他の人が搾取されなければならないと。これだけ豊かであるためには、やはりラテンアメリカのような貧しい人がたくさんいる地域がなくてはならない。
 そういう考え方もカストロから教えられて、やはりみな、あれが欲しいこれが欲しい、いやあれはカッコイイと思ってもこれは幻で、実際はこんな簡単にお金持ちになれるわけではない。まあ他の人を潰してお金もちになるんだったら、「それは、わたしはいい」って、キューバではそういう人がほとんどだと、わたしは思うのです。
 確かに今からもそういう思想教育に力を入れなくてはならないのですが、それほど心配ではないですね。

司会:本日は、お忙しいなか、本当にありがとうございました。

(『思想運動』1036号 2019年1月1日号)