HOWS夏季セミナーの四つの講座に参加して

HOWS夏季セミナーが八月一日、二日に開かれた。セミナーの講座は、①新型コロナと「台頭」以降の中国の政治と経済(報告=丸川哲史)、②沖縄「平和の礎」DVDの上映、③習近平の新時代の中国の特色のある社会主義とは何か(報告=村田忠禧)、④地経学的見地から見た朝鮮半島経済の可能性(報告=李俊植)であった。四本の報告をまとめたものは、『国際主義』第二号に掲載予定である。各講座に参加しての感想を寄せてもらった。
【編集部】

①丸川哲史講座
コロナ状況という階級闘争

韓国や中国でコロナ対策が成功した理由の一つは、電子情報による徹底した個人管理である。それをめぐる日本での議論――日本は遅れをとっているとか、反対に個人の自由が脅かされているなど――はいずれも今日的施策の有無のみで比較され歴史的背景が無視されている、と講師は指摘した。その差は国民性などではなく冷戦構造での位置関係、つまり冷戦の最前線地域であったか否かによると。
確かにそうだ。それまでわたしは社会的防疫体制が成功している国名を眺め、その国の人々の協力関係や政府との信頼関係を聞いて反植民地闘争を経ているか否かの違いだと理解していた。だから日本の支配階級が真似しようともできないし、左派の批判も的を射ない。しかしこの捉え方に心もとなさも感じていた。反植民地闘争という「昔話」的感覚のみで捉えず、「冷戦」という約七〇年前に再編された対立構造の存在が指摘されることで今現在に連続していることがわかる。つまり、中国などでの防疫体制の質的違いを目の当たりにして、わたし自身がそうであったように「昔話」として理解してしまうこと自体が「日本国民」として内面化された冷戦構造そのものであり、それが「心もとなさ」の正体だった。
しかし「冷戦」と聞くと、資本主義陣営と共産主義陣営の利害対立を第三者的に眺める語感が付きまとう。そこは「階級対立」と読み替えて理解したい。だからコロナ禍に対して中国では「人民戦争」というスローガンが掲げられた、との話は印象深かった。コロナとの闘争即ち階級闘争と捉えていると見えなくもないからだ。「冷戦は終結した」と言われて以降も、階級闘争は継続している。
討論では「冷戦構造」と「階級対立」、「人権」と「民権」、「自由」と「生存」、「福沢」と「孫文」、「ロック」と「ルソー」、「三権分立」と「プロレタリア独裁」などに通底する違いも話題になった。目の当たりにすべき思想的課題として興味深かった。
【藤原 晃】

②「平和の礎」DVD上映
刻銘されない朝鮮半島出身者

『空白の墓碑銘―沖縄「平和の礎」・韓国調査の記録』(NHK)と『揺らぐ刻銘―沖縄「平和の礎」の理念を問う』(琉球朝日放送)の二本のDVDが上映された。摩文仁の平和公園に、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった人々の名前を石碑に刻む「平和の礎」がある。一本目は朝鮮半島の軍人・軍属の遺族に、それへの刻銘の承認を求める洪鐘泌さんの活動の記録である。
一九九五年、大田昌秀知事が厚生省から入手した沖縄戦における朝鮮人死亡者の名簿四五四人分(少ない!)のうち、同年刻銘されたのは一三三人、残りの三二一人分の調査を、県が洪さんに依頼した。その結果、九二人の遺族が刻銘に同意、五人は刻銘を拒否した。
二本目は、死亡者名簿に紛れ込んだとみられる韓国人女性をめぐって、弟・姪が刻銘を同意したにもかかわらず、刻銘されなかったという事実を明らかにしている。沖縄県の担当者は、刻銘拒否の理由を個人のプライバシーの問題に解消した。そもそも厚生省の名簿にあった女性の名前が沖縄県に伝えられなかったのなら、「慰安婦」問題に対する国の姿勢が問われることとなる。この作品は、死してなお日本に差別される女性たちの問題を浮き彫りにした。
金治明さんの「沖縄戦と強制連行」が読み上げられたのち、討論があった。朝鮮半島の植民地化がすすめられ、朝鮮人は土地を奪われて、流浪の民となった。人民は、強制的・半強制的に日本に連行され、軍需工場や軍隊に放り込まれた。女性のなかには強制的に従軍「慰安婦」として酷使された人もいた。金さんは、次のように言う。「平和の礎」には、「強制連行された韓国や北朝鮮の戦没者も刻銘されるように石碑が用意されているが、その石碑の大部分が空白のままになっています。」「『拷問・虐殺され、性の奴隷とされた人々』の遺族が、『天皇の軍隊』と同じ場所に、名前を刻むことに違和感を持つのは当然」「『戦争責任』に時効はない」と。
【阪上みつ子】

③村田忠禧講座
改めて学んだ中国の歴史と現実

日本は現在も反中国「大合唱」の只中にあり、中国は覇権・独裁国家だとか、もはや社会主義国家ではない、といった語りが、“えっ、この人まで”と声が出るほどに、わたしの身近の市民活動の中でも広がっている状況で、わたしはセミナーに参加した。
中国共産党史がご専門の村田忠禧さんは、“客観的事実から評価する”との立場から、五年ごとの中国共産党の全国代表大会での「政治報告」における「主要矛盾」認識の変遷(一九五六年大会から二〇一七年大会まで)をたどり、中国社会の目標についても階級闘争・商品経済・改革開放・社会主義市場経済・経済建設・科学技術の発展・小康社会へと変遷してきたことを中心に話された。
この講座で、「改革開放」が文化大革命の失敗からの社会主義のやり直しとして打ち出され、「改革開放」路線は大会の度に点検と反省が行なわれて継続されていること、そしてその上に江沢民は「中国の特色ある社会主義建設事業」をうち出し、この事業は胡錦濤を経て、現在の習近平の「新時代」へ引きつがれていること、さらに、中国は「社会主義初級段階」にあるという認識を今も継続する中で、「改革開放」で生まれた異常事態=腐敗(自己利益と出世主義)の克服に向けた「以人為本(人間を第一とする)」という胡錦濤の反省を習近平が引き継いで、「トラもハエも叩く」という腐敗摘発に取り組み、しかも“自分だけが豊かになるのではなく、ともに豊かになる”という理念を共有する思想闘争(教育)に取り組んでいること、さらに対外的には、中国は“ウイン・ウイン”を国際関係の基本に据えている点など、これまで以上に深く学び直すことができた。「中国の特色ある社会主義建設」の歴史と現実を知ることは、日本と中国の人民同士の連帯を作り出すことに役立つばかりでなく、わたしたちが、どういう社会をめざすのか、という点からも決しておろそかにはできないと改めて学ぶことができた。
【高梨晃嘉】

④李俊植講座
米戦略の無効化めざす朝鮮

「地経学」という戦略思考で朝鮮半島経済の可能性を展望しようというのがこの講座のテーマである。地経学の定義とは「国益の増進と防衛、さらに地政学に有益な結果をもたらすために経済的手段を行使すること」とされる。以下、李俊植氏の講座によって理解を促された朝鮮半島情勢についての認識を述べたい。
朝鮮半島は地経学的ポジションということでは大国(中米)の利害がせめぎあう位置にある。日々エスカレートする中米の対立によって、朝鮮半島は否が応でもその影響を受けざるをえない。
朝鮮半島では二〇一八年に北南首脳会談と板門店宣言、朝米首脳会談と共同声明など非核化へ向かう平和への兆しが見えかけたが、この動きは、北南の合意事項を文在寅政府が履行しない、米韓軍事同盟の強化、日本の安倍政権による朝鮮脅威論とアメリカと一体となった朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)に対する圧力を強化等によって、停滞を余儀なくされている。
朝鮮の現状認識は「(米国による戦争挑発は)戦争に勝てそうな相手とのみ行ないうる武力衝突です。もはや何人たりともわれわれを蔑むことはできません。(われわれは)われわれを蔑むことを不可能にし、もし蔑むのならその代価をきっちりと払わせるであろう」(二〇二〇年七月二十七日 第六回全国老兵大会 金正恩国務委員長演説)。すなわちいまや米軍は軍事的アプローチはできない=政治的、経済的アプローチしかできないということである。それはもっぱら経済制裁という形で顕在化している。
朝鮮は、経済制裁に対して自力更生のよりいっそうの強化をはかり、米国による地経学的戦略を無効化させるとしている。自立経済発展の基本原動力は人材と科学技術にあると強調している。かたや韓国は「二重依存のジレンマ」に陥っている。経済・通商は中国に依存する一方、安全保障上はもっぱら米国に依存している。「韓国が真に北南関係の改善と平和、統一を願うのなら、板門店対面と九月平壌対面の時の初心に立ち返り、北南宣言を誠実に履行して民族に対する自分の責任を果たすべきである。」と金正恩委員長は四月十二日の施政演説で述べている。
【望月陽子】

(『思想運動』1056号 2020年9月1日号)