HOWS『神聖喜劇』連続講座の報告をふまえて
われわれもまた「あけぼのの道」を開かなければならない                         

 今回とりあげた大西巨人の四本の初期批評は、敗戦の翌年、一九四六年の後半期に書かれたものである。一九三九年に大学を追われ「世界戦争的時代現実の重圧の下に屈辱の生活を保っていた」大西は戦後社会の開放感にとまどいと違和感を覚えながら、自己と社会の厳しい点検と剔抉を行ないつつ、新しい生の一歩を踏みだそうとしていた。これらの批評で展開されている視点は、後に『神聖喜劇』のなかで磨かれ、発展的に展開されることになる。先にこのHOWSの『神聖喜劇』連続講座で学んできて、わたしのなかでそのことが明らかになった。
 絶対主義的天皇制国家が一敗地に塗まみれた。強権的軍事・警察組織の圧制から人々は解放された。灰燼と飢えのなかから人々は起ちあがってきた。労働者が組織された。あっと言うまに戦前の一〇倍を超す労働者が労働組合に組織された。
 四六年五月一日、復活したメーデーは皇居前広場に五〇万人の労働者を集めた。
 五月十九日、飯米獲得人民大会(食糧メーデー)は同じく皇居前広場に二五万人の人民を集めた。大会は人民民主政府樹立を要求した。しかし、マッカーサーはこれを「暴民デモ許さず」と一蹴した。マッカーサーは天皇を「新日本・民主主義国家」建設のシンボルにかつぎあげた。日本の不安定化は大陸進攻をもくろむアメリカ帝国主義にとってあってはならないことであった。GHQ(アメリカ帝国主義)・天皇(国体護持)・日本政府(日本資本主義の再興をめざす)、「三位一体」の勢力と起ちあがった人民が激しく鎬を削った時代であった。
 人民は明治維新以降の近代史のなかでかつてなかったほどの規模でエネルギーを発揮した。しかし、内部にもろさをかかえていたのも事実であった。天皇制国家がついえたにもかかわらず、八〇%以上の日本人が天皇制を支持しているという現実、その悪弊をかれら自身が十分に清算しきれていなかった。燃えあがる労働者・人民のたたかいがあり、一方で全国を巡幸する天皇に涙する多くの国民がいるという現実があった。
 『道程』の詩人、高村光太郎は、いざ日本開戦となった時「天皇あやふし」(『暗愚小伝』「真珠湾の日」)の感情に襲われたと告白している。感情のおもむくままに多くの戦争詩を書いた。
 この心情はなにも高村光太郎だけのものではなく、多くの国民、文学者のものでもあった。この心性は戦時総力戦体制を構築するために最大限利用された。敗戦後また「新日本」建設のために「民主主義的」(象徴天皇制として)に利用されようとしていた。日本人全体が戦前から戦後に横すべり的に移動しようとしている。戦中の教科書に墨が塗られて再利用されたように過去の自分に墨を塗って「民主主義」に横すべりしていく。
 過去のおのれと対峙することなく、自己を剔抉することなく、よろめきもせずに器用に「下駄」をア・ラ・モードに履きこなす時代の風潮への批判が大西巨人のこれらの批評の根底をつらぬいている。
 〇「自由と民主主義との理解・把握における、国民の側の弱さ、足りなさ、不十分」さ、それが「独立の民主主義革命をとおしてでなしに」「民主主義への糸口がいわば外から与えられた」ことに起因していると指摘する中野重治のエッセイ「冬に入る」への大西巨人の共感。
 〇「政治、それに附随する政治的現象としての政治家ないし民衆は、いちおうそれでいいかもしれない。しかし『深淵としての人間・民衆』、それと相関する文学、その創造の主体としての文学者は、『冬』から『春』への移行の過程を追究せられねばならず、また追究しなければならぬ。よろめきは、よろめかれねばならず、かつ表現されねばならぬ。それによってのみ、僕らは、『籠れる冬』を真に追い払うことができ、『新しい別の冬』を撃退することができ、『立春』を真の『春』の序曲とすることができる。」(「籠れる冬は久しかりにし」『戦争と性と革命』二〇三頁)この引用文から大西巨人の「政治と文学」に関する独自のスタンスを読みとることができるのではないだろうか。人間のより根源的な変革をめざす文学の重要な役割といったようなものであるが。
 〇〝文学者の戦争責任と別にあるいは同時に、明治以降の文学が封建性打破、近代確立に無力、怠慢であって、失敗であったことに、既成の文学者は、その責任の重大さを肝に銘じなければならない〟という大西巨人の指摘は独自であり、貴重である。先に高村光太郎の例でみたように近代文学の弱点が、文学者の多くが容易に戦争協力者になってしまったことへつながっているのである。戦争責任をただモラルの問題に帰せしめないためにも重要な指摘である。
 われわれは「新しい別の冬」のただ中にいる。「三位一体」の支配体制は微動だにしていない。われわれは「あけぼのの道」を開かなければならない。
【渥美 博】